2017年01月15日

里やま深やま

後藤信雄さんの「里やま深やま」を読んだ。
後藤さんは群馬県の山をくまなく歩いている。
またその記録は「新ハイキングクラブ」の機関誌にガイドとして記載されている。
その後藤さんが書く文章は素朴であり、山を歩くを趣味を持つものにとって心に響く。
また一つの文章を書くにも推敲を重ね、その歴史や文化にも範囲を広げている。
後藤さんの考え方は前書きの筆者紹介に凝縮されているのではないだろうか。

(前略)山はただ登ればよいというものではありません。(略)
山は登らせていただくのですから、山の頂に石祠などがあれば粗塩と白米を供え、自分が歩く登山道の草刈りや倒木の片付けなどの整備を行います。(略)
同じ山に一日に何度も登って、その回数を自慢する人や登山口から山頂まで何分で登ったと自慢する人もいます。(略)
山は低山であれ、高山であれ、その地域の人々に親しまれたということこそ、山としての価値があると言うことなのではないでしょうか。(以下略)

私が小さい頃、山は生活の糧でした。薪を拾い、栗の実を拾い、落ち葉は堆肥に、木は炭にしました。
だからこそ大切にしてきました。しかし、里山はシュンランの乱獲、自然薯掘りによる穴だらけ、おまけにゴミを捨てていく。
私たちの祖先が守ってきた山が、何とも嘆かわしい状態となっています。

考えていたことを文章としてまとめる作業は、山を歩くよりも時間を費やすと思う。
また人の心に訴えるということになれば、さらなる時間を費やすことだろう。
この本は群馬の山歩きの第一人者である後藤さんの思いの詰まった一冊だ。



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2017年01月11日

みんな山が大好きだった

山際淳司さんの「みんな山が大好きだった」を読んだ。
日本の登山家加藤保男、森田勝、長谷川恒男、松濤明、吉野満彦、加藤文太郎
世界の登山家、ヘルマン・ベール、モーリス・ウィルソン、
みな輝かしい記録を残している。
そんな彼らの山に対する気持ちを作者が代弁している。
しかし彼らは遭難死してしまっている。
”死んでもいいから山に行くのだと言えば、それは常識からはずれることになるだろう。死は自ら求めるものではなく、あちらからやってくるものだ、というのがいちおうの常識だからである。みんながそう思っていれば、平穏無事な成熟社会が現出するのだろうが、そうはいかない。人間には、その本性として失う危険のあるものを愛してしまうという傾向があるからだ。<中略>遭難者たちはそこに危険があるからこそ、前進したのだから”
山に登らないものにとっては理解しがたいことかもしれない。
作者は単独行についても記している。
単独行に対する考察は理解できる部分が多い。

表紙の絵とタイトルとはかけ離れた内容の本だ。
作者はこの文庫本が発刊された1995年に46歳で亡くなっている。
あとがきは奥様の言葉が記されている。




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